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破壊と廃棄と生産

TSUKASA WATANABE

10年以上前に学校の課題で破壊・廃棄・生産の関係について文章を書いた。ふとそんなことを思い出したのはNHK朝の連ドラ「あまちゃん」に触発されたからである。23週目にあたる今週、いよいよ東日本大震災「3.11」が描かれた。当時、東京でも岩手でもなく、金沢にいた僕は震災どころか、その後の計画停電や物不足にも無縁であった。実家が栃木なので親類のなかで少なからぬ被害があったとか、農作物の風評被害を聞かされたりはした。当然、自ら身を投じ復興の手伝いをすることもできたであろうが、具体的になにか「した」と言えるものは無い。「あまちゃん」では言葉や映像に気を遣いながら、行き過ぎない程度に描かれた。内気な主人公がいろいろな経験と多くの人たちと触れ合いながら「居場所」を見つけていくことがこのドラマのメインテーマと思われるので、震災により一層「場所」への思いが強くなっていくことが重要なのであろう。10年前の課題を制作する直前にニューヨークの貿易ビルに飛行機が突っ込む、あの事件「9.11」があった。そのホンの1週間後にバングラデシュに旅行するのだが、まったく違う行為から生まれる日常というものに共通性を感じた。バングラデシュはジョージが歌っていた時代とおそらく何も変わっていない。とにかく貧しい。ただ、実際に訪れて驚いたのはゴミの多さだ。やたらに捨てる。品が悪いというのとは感覚が違うのだろうが車の中から、自転車に乗りながら、家の中から物を捨てる。排泄物もゴロゴロしている。驚くのはそれらを拾う人たちもゴロゴロいることだ。それで生活している人たちがいるのだ。サイクルというのか。リサイクルというようなシステマチックではないが、廃棄は生産につながっていた。転がっているのは見方によってはゴミではないのだ。ニューヨークの破壊も結局は生産に繋がった。壊されても必要があれば作られる。オフィスであれ、モニュメントであれ。都市でも農村でも破壊か廃棄を繰り返しながら生産に変えて存続していくのであろう。震災を破壊とみるのか廃棄とみるのか。

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