モエレ沼公園には2006年に訪れたことがある。その雄大なランドフォームに感銘を受けた。反面、ベンチや屋外トイレ、手摺、水飲み場などといった通常あるものが無かったり、巧妙に隠されていたという事実はあまりにも「自然な」故に、本書を読むまでは気づかなかった。ノグチのマスタープランを誠実に実現させようとした関係者の苦難を知る由もなかった。同時に知らなくてもよかったのだが、モエレで見られる造形の多くは、生前描かれた全体構想以外はモエレ固有のものではなく、過去のアーカイブから参照されたものでもあるようだ。 イサムは1988年3月に札幌を初めて訪れてから約9か月後にはこの世を去ってしまったのであるから、設計や建設に関わる手掛かりが少ないのは当然ではある。しかしデザイナーとは、いくら晩年を自覚していようがキャリアの集大成は作らないはずである。イサムがモエレの設計を続け現場を見ていたら、当然違ったものになったろう。かといってそのほうが良いともいえない。コストや工期、役人との交渉などによりもみくちゃにされる前のピュアな着想には輝きが存在するものだ。聖人と化した一デザイナーが残したある理想を残された者たちが頑なに、そしてありのままに実現しようとした結果、類を見ない素晴らしい造形を作りえたのであろう。ダッカやサグラダファミリアなどのように、死後もなお続く創作は当人にはどう映るのであろう。
建設ドキュメント1988―イサム・ノグチとモエレ沼公園 川村純一 斉藤浩二 学芸出版社
TSUKASA WATANABE
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